おしらせ*[2008年06月30日(月)]

突然ですが、当ブログは本日をもって更新を停止いたします。
最大の理由は急増するスパムTBの駆除に疲弊したこと。移転先はこちら。URLはmixiに記載しています。ブックマーク、RSSリーダーなどに登録いただいているご奇特なかたは、大変お手数ですがご変更をお願いします。

当面、閉鎖はいたしません。多数のコメントもいただいており、こんな僻地で、かつ今月のようにほとんど更新がなくてもまいにち平均して50〜100ページビューをカウントしているので、なんらかのお役に立っているのであろうとひとりごちています。

たとえばここのサービスのひとつにシンプルなアクセス解析があり、それによるといちばんアクセスが多いエントリは「緊急提言:にわかフィギュア対策その1 イナバウアー問題」でありまして、いまも“イナバウアー 画像”という検索ワードでお越しくださるかたが多いようです。たくさんのかたにコメント、TB、リンクなどを貼っていただき、感謝しています。なにしろ荒川選手の金メダル効果で3日で10,000を超えるアクセスを記録、このときは筆者の手をひとたび離れると、エントリがどのように加工され、巷間どのよう流布されていくのか、ヒジョーに興味深い体験をすることができました。


もともと本館がうまく機能しないときの仮住まいとしてスタートし、いつのまにかこちらがメインのようになってしまいました。ここを始めた頃はまだブログサービスの提供元も数えるほどでしたが、すでに自然淘汰の時代を迎えているようにも感じられます。いずれブログというシステムは消滅する日がくるかもしれませんが、ヒトがもの言いたい習性はなくならないでしょうから、そのときはまたなんらかのシステムがうまれていることでしょう。


最後になりましたが、これまでありがとうございました。これからもお見捨てなきよう、よろしくお願いいたします。ではカーテンコールをどぞー(↓クリックしてちょ)。


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おおきに、ごきげんさ〜ん♪


*ご要望に応じて一部加筆修正(080718)
 

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グラッド・アンド・ソーリー[2008年06月27日(金)]

いろんなことがあった6月が終わろうとしています。

たとえば、うまれてはじめて救急車に乗ったとか、13年無欠勤だった事務所をはじめて病欠したとか、はじめてみずから頼んでプレゼンを延期してもらったとか。ついでに激痛のあまり食事が摂れず、5日間で4kgちょっとという自分史上最大最速の減量記録も樹立しちゃったりして。

あぁ、うらやましいなんておもっちゃダメですよ。おかげでおなかから膝のうえまで、いきなりセルライトがボコボコ浮いてくるわ、皮ふはたるむわで、百年の恋も醒めそうですもん。いまならことばで口説かれても信じないけど、このおなかにちゅう♪できたら信じちゃうかも。

・・・なぁんて軽口はそのくらいにして、お気遣いいただいたみなさま、ありがとうございました。心配かけてごめんなさい。それにしても人間のカラダというのはじつによくできていて、限度を超え、さらに超えようとすると強制終了するようになってるんですねぇ。Macと違ってサクッと再起動しないのがツライところだけど、なにぶん年代物ですから。

まあね、この数ヶ月、「休みたい、なんっにもしないで5日くらい寝て過ごしたい」と願いつづけてきて、みごと5日半、寝たきりというまさにそのとおりになったわけですから、文句を垂れたら天罰が下ろうというもの。そうなんですよ、願えばかなうんです。でもね・・・どうせなら「サンタモニカビーチでのんびり優雅なバカンス」みたいな、もっと具体的な設定をしておくべきだったとベッドのなかで臍を噛んでもすでに後の祭り。いままではキモチがシャンとしていればカラダはついてきたんですが、今回ばかりは諸々の悪条件が重なり、ついにカラダの疲れがキモチを追い越してしまったのでありましょう。当分、リハビリに精を出しますですよ。


しかしなんというか巡り合わせとは不思議なもの。いつも前を通りかかる中古レコード店、いまだかつて店が開いているところを見たことがなかったんですが、通院を言い訳に事務所を早めにあがるという滅多にないことをしたおかげで、ずっと探してた“Ooh La La”のギミック盤を破格値で入手できました。ホント、なにがさいわいするやら。


そんなわけで、いろんなことがあった6月が終わろうとしています。いや、週末など、ほぼすべての予定をキャンセルしたので、むしろなにもなかったも同然の6月が終わろうとしています。ラッキーだとか、アンラッキーだとかいうのは、どんな出来事が起こったかというより、起こったことに対してどんな解釈をするか、意味づけをするかで決まるもの。だとすれば、この6月はとてつもなくラッキーな月だったという気がしてくるのです。








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Glad and Sorry“Ooh La La”・1973/ Faces


フェイセズにはマックことイアン・マクレガンのキーボードからはじまる印象的なナンバーがすくなくないのですが、これもそのひとつ。ロニー・レインのブリティッシュ・トラッド志向が濃厚なこの曲からは、天下の酔いどれバンドとして名高い彼らのもうひとつの顔がうかがえます。
ジョニー・デップが主演した映画『ブロウ』に使われたらしいので、一度観てみたい。

上の動画は今年急逝した俳優ヒース・レジャーへのトリビュートですね。ヒースのファンでフェイセズのファンがつくったのかな。
下はロニーとはまた違った味わいのあるマックのヴォーカルで。今年のSouth by Southwest (SXSW)音楽フェスティバルのライヴより。


WORKS
営業時間は昼の2時から夜9時だそうで、それじゃあ当方の生活時間とは合わないのもむべなるかな。西新宿や御茶の水の大型店よりお買い得価格で50〜60年代のジャズ、ボサノヴァ、60〜70年代のロックが見つかります。
 
 

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ハレルヤ/アイ・シャル・ビー・リリースト[2008年05月29日(木)]

ジェフ・バックリィはノイズの海の中の濁りのないひとしずくだった。

――Bono(U2)





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Jeffrey Scott Buckley 1966.11.17-1997.5.29



世のなかは不公平で不平等で不条理です。なにごとであれ持つ者と持たざる者がいます。ジェフ・バックリィは声とギターの才において天分を持ってうまれました。音楽が世界を変えるとはおもわないけれど、誰かの世界観を変えることはできるかもしれません。彼ならそれができるでしょう。

たしかに世のなかは不公平で不平等で不条理です。ただし、持つ者がつねに恵まれ、持たざる者がつねに貧乏クジを引くわけではありません。いいかえれば「誰もが不公平で不平等で不条理」という条件のもとに、みな公平で平等で条理にかなっているのです。

すべてを持つ者はいません。同様になにも持たない者もいないでしょう。誰もがなにかしらを持ち、なにかしらを持たず、日々、なにかを得たり、失ったりしています。
そんななかでハズレを引くのもアタリを引くのも(もしいるとすれば)神のみぞ知るであって、運なんてロシアン・ルーレットのようなもの。誰のせいでもないし、なにが悪いわけでもありません。

だからいまいる世界で、できることを、できるように、持っているものをわかちあったり、足りないものをもらったりして、いきていくのです。ささやかな祈りをこめて。







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Hallelujah “Grace”・1994 / Jeff Buckley


作詞作曲はカナダの詩人で作家、シンガー・ソング・ライターであるレナード・コーエン。詩の朗読のごときオリジナルもすばらしいけれど、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケール、k.d.ラング、そしてこのジェフ・バックリィと甲乙つけがたいカバーヴァージョンもお聞き逃しなきよう。いずれ劣らぬクセモノたちに愛されたこの曲、タイトルがタイトルなので賛美歌のようにみられがちですが、むしろヴォネガットの「神がもし現代に生まれていたら、きっと無神論者だっただろう」という言葉を思い出してしまいます。


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I Shall Be Released “Live at Sin-E”・2003/ Jeff Buckley


これもまた大勢のアーティストがカバーしているボブ・ディランのナンバーですが、彼が歌うと歌詞がまるで彼自身のことばのように届きます。いま、その歌声は輝く光になって西の空から東の空へ、自由に解き放たれているのでしょう。


1997年5月29日、ジェフ・バックリィはミシシッピ川の支流で水泳中、行方不明となり、10日後に水死体が発見されました。30歳でした。

事故直前には、ラジオでオンエアされていたレッド・ツェッペリンの"Whole Lotta Love(胸いっぱいの愛を)" を歌っていたといわれています。
 

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[2008年05月28日(水)]

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■They Shoot Horses, Don't They? (ひとりぼっちの青春)
監督:シドニー・ポラック
製作:アーウィン・ウィンクラー、ロバート・チャートフ
原作:ホレース・マッコイ(『彼等は廃馬を撃つ』)
脚色:ジェームズ・ポー、ロバート・E・トンプソン
出演:ジェーン・フォンダ、マイケル・サラザン、スザンヌ・ヨーク、ギグ・ヤング
1969年/アメリカ/配給:20世紀フォックス





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Sydney Pollack 1934.7.1 - 2008.5.26
photo:www.nicolekidmanunited.com




人生の終わりで振り返れば多くの作品が出来ているだろう。
良い評価を頂けた作品もあるかもしれないし、気に入って頂けなかった作品もあるだろう。
でもそれは仕方ない。(中略)
その作品を評価するのは皆さんであり、私の役目ではないんだ。
??Sydney Pollack

(2007年カンヌ映画祭のインタヴューで)







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悪いけどシドニー・ポラックって、じつはそんなに好きな監督ってわけじゃない。ちょっと優等生すぎるのかな。なのに1969年だけ、なにが起こったのかヘンテコなのを2本つくっている。その2本が好きだ。好きだけど、とくにこの“They Shoot Horses, Don't They?(ひとりぼっちの青春)”は何度もつづけて観たくなる作品じゃない。でも、まったく観たことがないのなら、1度か2度くらい観ておいてもいいとおもう。ただしとってもハイなときに。
原作はホレス・マッコイの『彼等は廃馬を撃つ』。10代の頃、角川文庫で読み、文字組が変わっていたせいか印象に残っている。訳は常盤新平さんだった。

とにかくまったく救いようがない。この時代の作品はニューシネマとひとくくりにされやすく、暗い内容のものが多いけれども、きわめつけに暗い。不毛なレースを延々と繰り返し、勝っても負けても、その先には絶望しかない。それでもなお忘れがたいのは、苦痛に関するいくつかの示唆をあたえてくれたことによる。ひとつは、人は期限つきの痛みには耐えられるけれど、終わりの見えない苦しみには耐えられないこと。もうひとつは、じぶんの身に降りかからない限り、どこまでも残酷になれること。

ベトナム戦争が泥沼化していく一方だった時代につくられた、アメリカのもうひとつの闇の時代の物語。出口のない閉塞感にはどこか相通じるものがあったのかも。それは理由を失ったイラク戦争が英米側の一方的な戦闘終結宣言後も犠牲者を出しつづけている現代の状況にどのくらい似ているのだろう。







Easy Come, Easy Go ・1934 /Lee Wiley


大恐慌時代はジャズエイジでもあった。映画の主題歌として使われたこの曲、意味は「悪銭、身につかず」。苦労して得た賞金も結果的にはほとんど手もとに残らない過酷なレースのバックに、たやすく入ってくるものは、すぐに出て行くという歌が流れているとはますますやるせない。






■引用元/CINEMA VOICE
■映画紹介/imdb.comひとりぼっちの青春(Variety Japan | FILM SEARCH)

*ちなみに1969年のヘンなもう1本とは“Castle Keep(大反撃)”のこと。
それにしても前から不思議におもっていたのだけれど、どうして「撃つ」と「撮る」は、英語だとどちらもおなじ“Shoot”なんでしょうね。たしかにカメラを構える監督のポートレートは、まるでスナイパー。“Shoot”の語源には“発する”という意味があるらしいので、弾丸を発する、ストロボの光を発する、ってこと? ご存知のかたはご教示ください。
 

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[2008年05月21日(水)]

影法師も素足で歩く芝のうえ

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天を軸にコンパスで描く緑

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[2008年05月15日(木)]

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"Canyon," Robert Rauschenberg





ぼくはそこで、正気と狂気の間には殆ど違いがないことを学んだ。
そして、両者の結合こそすべての人が必要としていることなのだということを了解した。

――Robert Rauschenberg

(ロバート・ラウシェンバーグ―ザ・モスト・リヴィング・アーティスト/ロバート・ヒューズ  
『ラウシェンバーグ−ROCI 日本展図録』世田谷美術館・1986)






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Robert Rauschenberg,1925.10.22 ― 2008.5.12
自作の“Sor Aqua (Venetian)”の前で
photo:THE COLLECTOR :: eclectic magazine :: 2005 - 2006





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女がTシャツを着るなら、大きめをゆったり着るか、小さめをぴったり着るのがいい。
Tシャツの直線的なシルエットとカラダの曲線の出会いは、なかなかに想像力をかきたてると、ある男がいっていた。さらにいえば、大きめTシャツの下には、なにもつけないのが望ましいのだそうだ。勝手にしやがれ。

たしかに大きめのTシャツは気分がいい。手持ちのものにメンズのフリーサイズでラウシェンバーグのシルクの作品を転写したシリーズがある。お気に入りの絵柄はクローゼットに、何枚かは実家に、あと1、2枚はさてどこにいったのやら。

ラウシェンバーグはネオ・ダダとポップの結節点でもあったひとだ。ペインティングとコラージュを統合し、平面と立体の垣根を壊して、具象と抽象の境界を飛び越えた。家具をキャンバスにし、作品は雑貨、食器、Tシャツにもプリントされて芸術と生活を結びつけ、男と女の距離をTシャツ1枚ぶん近づけたり、遠ざけたりする。
 

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『ペトルーシュカからの3楽章』より「ロシアの踊り」[2008年05月10日(土)]

「そうですか、ところで『のだめカンタービレ』は観ましたか」

いや、観てませんというと「ではDVDをお貸ししましょう」てなわけで、イケてる腹筋・サックスプレイヤー氏、ヒサビサ登場。で、ようやく観ました、新春スペシャルこみ全話。

感想を尋ねたところ「のだめはB型ですね」とキッパリいい放って、なぜかわたくしを見つめるのですが、なにか悪いことしたかしらん。ていうか、それ以前にそのリアクションって感想?


さて、ドラマでいちばん印象に残った曲がこれ。オーケストラ演奏しか知らなかったんですが。



Ballet “Petrouchka”(Scene I: The Shrovetide Fair~ Russian Dance)/ 
performance : Thierry Mongne, Monique Loudières and Jean Guizerix



『ペトルーシュカ』は『火の鳥』、『春の祭典』と並ぶ、イーゴリ・ストラヴィンスキー三大バレエ音楽のひとつ。バレエ・リュスを主宰するセルゲイ・ディアギレフの依頼をうけて作曲され、1911年にパリ・シャトレ座で初演。1幕4場の構成で振付はミハイル・フォーキン、舞台美術はアレクサンドル・ブノワ。
原作は、人形なのに魂をもっているペトルーシュカを主人公としたロシアの民話。風采が冴えず、踊りもヘタ、なにをやってもヘマばかりのペトルーシュカは、愛するバレリーナ人形から見向きもされず、あげくの果てにライバルであるムーア人の人形に斬殺されるという、ヒジョーにやりきれないお話。
モダン・バレエの源流ともいわれるバレエ・リュス作品群においても異彩を放っているのは、主人公が美しく描かれていないからでしょう。いまも仮面のようなメイクで踊られることが多い役柄ながら、初演でペトルーシュカを演じたヴァスラフ・ニジンスキーのそれはひときわグロテスクでした。人間と人形の二面性がうかがえる陰鬱なポートレートには、天分と狂気のはざまで揺れることになる将来を予見させるものが・・・





Igor Stravinsky - Three Movements from the Ballet “Petrouchka” Danse Russe /
Alessandro Taverna (2007 Cleveland International Piano Competition)



ギクシャクした人形らしい動きをとおして、傷ついた心や孤独感が誰にも伝わらない悲劇と苦悩を表現したニジンスキーの演技力は高く評価されました。が、バレエ作品としてはすぐに受け入れられたわけではありません。音楽も同様で、100年前には最先端すぎたのかも。現在では独立したピアノ曲としてよく演奏されているとか。とにかく音数が多くて、みてるだけで指が複雑骨折しそう。


『のだめ』でこの曲が目立っていたのは、独特のアレンジが加えられたからです。ドラマをご覧になったかたには、こちらのほうがおなじみでしょう。一度聴いた曲をそのまま再現できるほど優れた耳をもつのだめは、コンクール直前、バスで暗譜している最中に乗客の着メロ『きょうの料理』のテーマ曲を聞いてしまい、こんな曲に・・・。



Igor Stravinsky - Three Movements from the Ballet “Petrouchka” Danse Russe
(Nodame version)/University of Santa Clara (2007.10.14)



原作では『ペトルーシュカ』と『きょうの料理』がミックスした別の曲――つまりペトルーシュカ変奏曲のようなものが即興演奏される設定になっていたそうですが、ドラマではわかりやすくするためか、2曲が交互に出てきます。調べてみたらこの曲はもともとストラヴィンスキーみずからピアノ用に編曲したらしく、もし変奏曲が実現するなら、『きょうの料理』作曲者・富田勲にアレンジしていただきたかったところ。するとね、こういう考察がありましたよ。


ペトルーシュカと今日の料理がごちゃまぜ、は立派な変奏曲 Allegro Barbaro [ITmedia オルタナティブ・ブログ]


このシーンの演出には演奏もふくめ、賛否両論があったようです。
たしかにこのドラマ、バスのなかでもケータイを鳴らすとかコンクールの会場で爆笑が起こるといったマナー知らずのヤツが多く、ある意味とっても現実的だけど、変奏曲でなかったことについては著作権問題はともかく、そんなに非難されなくてもいいような気が。おもわず以前OKAMURAさんがエントリで紹介されていた連結クラシック研究室がアタマに浮かびましたよ。
こういうお遊びってマジメな愛好家には「ありえーん!」と叱られそうだけど、ありえることしかやってなかったら漫画にならないわけで、おバカにも格調高くも楽しめるのが、クラシックの懐の深さだとおもうんだけどなぁ。


ちなみに『きょうの料理』とアルヴェーンの『スウェーデン狂詩曲』も似ていて、連結でも並行演奏でもいけるんちゃうかとおもいますが、いかがでしょ。


Hugo Alfven - Rapsodia Sueca nº1, Midsommarvaka, Op.19




どうです、誰かMIDIつくってみませんか(他力本願)。
そうそう、サックスプレイヤー氏に感想を聞かれたので「千秋は水瓶座ですね」と見つめながら答えておきました。感想になってない?




■参考サイト/
Vaslav Nijijsky:Creating a New Artistic Era (英)
ヴァスラフ・ニジンスキー(wikipedia)
上はThe New York Public Libraryのサイト。情報も写真も豊富。評伝に使われる主要な図版は、だいたい出てます。ニジンスキー関連の著書は多いんですが、バレエについて残ってるのは写真だけ。かんじんの動画がない。それがまた彼を伝説のベールに包むことになるのです。

ペトルーシュカ(wikipedia)
ペトルーシュカからの3楽章(wikipedia)

ドラマ『のだめカンタービレ』公式サイト(フジテレビ)
ドラマのコンクールのシーンを観てみる
しかし、このドレスはどうあっても“スカーレット・オハラ”にはみえないんだけど。それとも、のだめはアニメ・ファンだからこっちのスカーレット・オハラか? 原作を読んでいないだけに、どーもよくわからん。謎は深まるばかりなり。
 

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駆(追記あり)[2008年05月04日(日)]

初夏の雲駈ける鈴掛ける小径


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080503.一之江境川親水公園の小手鞠(スズカケ)
 

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リラの花咲く頃[2008年04月30日(水)]

約束した時間には2、3時間はおろか、なん時間も前にやってきて、ひとりで先に飲んでいるひとだった。待ち合わせ場所に着いた頃にはすっかりできあがっていて「だめ、もうヘロヘロ」なぁんて。

ねえさん、姐御と呼ばれることは多いけれど「おねーたま」と呼んでくれたのはひとりだけ。甘えん坊の困ったちゃんより、聞きわけのいい子どものような顔をみせることが多かったのは、わたしが年上だったせいだろうか。


初めて会った日に、なんのきっかけからかシャンソンの話題になり、関西人なら宝塚のテーマソングを知ってるだろう、と聞いてきた。和訳ではすみれだけれど、ほんとはリラなんだよな、と調子よく歌いはじめたのがこの歌。意外とうまい。だけどね、ぜんぜん似合わないの。きっとリラがどんな花かも知らなかったとおもう。

日本のシャンソン愛好家は少なくはないけれど、多くもない。子どもの頃、宝塚歌劇をよく観に連れていってもらっていたとか、ちょっとフランス語を齧っていたとか――なにか入口があったはず。最初は口ごもっていたけれど、昔、好きだったひとがファンだったと打ち明けてくれた。リラの花のいわれも、彼女の口伝えだろう。後になってほんとうのところ音楽はよくわからないし、それほど興味もないんだと呟いたことがある。

想像でしかないけれど――なにごとであれ、あのひとは好きなひとが好きなものを好きになろうとしていた気がする。それらを通してみていたのは好きな誰かであり、そうすることで誰かの心に近づこうとしていたのかもしれないし、そのひとのように振る舞おうとしていたのかもしれない。だから対象はシャンソンでも馬でもなんでもよかったんだろう。いまとなっては、その想いが相手に届いていることを願うばかり。


誰にでも、わかったつもりでもわからない面があるものだ。それがどんなに予想を裏切るものであったとしても、つきあいがつづくほど「そんなあなたも、やっぱりあなたらしい」と、頷いてしまう。すくなくともわたしはそうだ。たとえばお酒が入っていないときは消えいるようにおとなしく、きっと職場や家族の前では、違う顔をみせていただろうことは想像がつく。

憶えている限り極上の笑顔は、野音に出かけた日のものだ。仕事ですっかり遅くなってしまい、ようやく会場で会えたとき、開口一番「おねーたま、遅い、みっちゃん、終わっちゃったよ」と手をパタパタさせながらいった。そう、ペンギンみたいな仕草は上機嫌の証し。この日は「みっちゃん、最高! みっちゃん、かわいかった! みっちゃんがいちばんよかった!」を繰り返し、「ねえ、それはきょう30回は聞いたよ」といったら喜々として31回めをいうのだった。


20日の夜、店でしばらく会っていないひとたちの名をあげたとき、リストに加えなかったのは消息を知っていたからだ。でも、ドアをあけて外に出たとたん、後ろの髪をひゅっと引かれ、こんな声がしたような気がした。

「おねーたま、忘れてる」

忘れてないよ、あなたのことは先週聞いたじゃない。勤め先が変わったんでしょ? はいはい、わかった、次からは必ず毎回聞くことにするよ。ほんと、さみしがりやなんだから。


その日の未明に知らせを受け取った。次は二度とない。

気がかりなひとがいるとき、そのひとの声をじぶんの心の声に重ねて聞くことがある。それだけのことだ。もちろん、そうでなくてもかまわないけれど。


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待ち合わせ場所には先に行って待っていないと気がすまないひとだった。そんなに先を越されたくなかったんだろうか。当分、誰も行かないよ。
いつかシワくちゃババアになってそっちへ行っても、もう「おねーたま」とは呼んでくれないだろうなぁ。





Quand refleuriront les lilas blancs(リラの花咲く頃)・1929 / Henri Gesky




Adieu, l'ivrogne.




 

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タイムワープ[2008年04月09日(水)]

千葉県北―盛岡―名古屋―岡山―関西と5日間で7都市をツアー。

総走行距離約2,856km、こなしたインタヴュー7本、市場調査対象SC、デパート、ファッションビルなど11店舗。
調査したSC、デパート内の歩行距離は含まず。
ヨーロッパで2番目に長い河川であるドナウ川の全長が約2,900km、インダス川もほぼおなじ。ちなみに東京―香港間が約2,900kmのようです、どうでもいいですが。
ツアーのときはこんなもんです。いつかドナウの川下りをしたいな。


期間中のアルコール総摂取量はバスペール2本、ギネス1本。
道中読了した本はスタインベックとジャン・スピラー。

意外と飲んでいない。意外と読んでいる。


壊れたデジカメ1台、買った靴2足、イヤリング1個、ニットのボレロ2着。
紛失したもの、トレンチコートの左袖のベルト。

買うのをあきらめたロベルト・カヴァリの豹柄ワンピースはサイズ42。アントワープのコンビネゾンもダメ。最近、胸が合わないの。ただしバストではなく胸囲という驚異的なネタ。22歳の頃のじぶんが聞いたらなんて言うだろ。
コートのベルトは、幅広のタフタのリボンに取り替えることにします。デザイナーのお仕着せだけが着かたじゃないしね。


キャリーを引っ掛けて倒したマネキン1体(ごめんなさい)。
名古屋駅では駐車場の車止めに躓く。梅田のヨドバシのカフェでお客とぶつかり、トレーのアイスコーヒーが落っこちそうになったときは、ナイスキャッチだったけど。
阪急百貨店の化粧室に入ってて携帯が鳴ったときは一瞬、焦った。みんな、こんなときどうしてるのかな。電源、切っておくの?


初めて酸素バーを体験し、タクシーの車窓からみた鶴山公園の桜は、もしかしたら今年最初で最後の花見。
駅しか知らないのは移動であって旅じゃない。それなりに切羽つまってても、テキトーに空き時間つくって道草するのうまいんです。
慣れたものもいいけど、初物はなんたって楽しいし、ときめきがある。四十不惑なんてクソクラエ(あら、わたくしとしたことが)。始終ワクワクでいきましょう。



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会ったひとたち、会えなかったひとたち

名古屋で会ったのは、かむさん、さかなっち、ハミガキさん。短い時間で残念でした。次は竜宮城じゃなかった、かむじむを襲撃させてください。かむさん、カフェラテごちでした。
大阪で会えなかったぼにちゃん、京都の画伯、また今度。
梅田の某百貨店のSさん、伝言はたしかに承りました。
東京のTさんから電話。ご好意でカープ×ヤクルト戦のチケット2枚。


時々刻々

クライアントさまに御家騒動発生。三宮の路上で足止めをくらい、関係各位に電話。充電器用に単3乾電池6個を消費、渡り歩いたカフェ2軒、コーヒー3杯。
火曜18時の時点で一応収束の方向。たしかなのは3ヶ月で1年分の仕事をしなきゃならない事実は変わらないこと。


実家には荷物を置いて寝に帰るだけ。父いわく「おまえはちっとも変わっとらん」――そうかな、遅ればせながら誕生祝いを贈るくらいは成長したとおもうけど。
姪に電話で入学祝いのメッセージ。写真ありがとう、ランドセルが似合ってるよ。わたしも入学式は黒と白のワンピースだった。不思議だね。

常備薬が切れ1ヶ月経過。さすがに自覚症状少々。早急に病院に行かなければ。


帰りは黒のジャケットとハーフパンツのスーツ
「あんたも若いなぁ」って、いえいえ、70代になってもナンパされるお母さん、あなたにはかないませんて。










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The Time Warp “The Rocky Horror Picture Show”・1975 /
SOUNDTRACK(廃盤)


『ロッキー・ホラー・ショウ』は海外だとキャラクターの扮装をしたお客が上映中に映画のシーンに合わせて米を撒いたり、傘をさしたり(放水する映画館もあるらしい)、クラッカーを鳴らしたりする。このタイムワープのシーンでは前列に陣取った強者たちがステージに上がって一緒に踊る。映画の『フェーム』にも描かれているけれど、実際そうなんだって。ドラマの『ドリュー・ケリー DE ショー!』では『プリシラ』を観に来たドラッグ・クィーンたちとダンス合戦をする楽しいシーンもありましたよね。


出張がつづくとシンドイでしょう、とよくご心配いただくのですが、案外へっちゃらです。あつかましい環境の変化に対する適応度が高いとか年甲斐がない好奇心旺盛とか性格的に合ってるみたい。なので、しばらく出張がないとウズウズします。よく人生は旅に喩えられますが、わたしの場合、旅が人生の一部なのかも・・・いまのところはね。
さすがに今回みたいに別件の仕事も抱えながらとか、クライアントさまにのっぴきならない事件が起こったりすると難儀ですが、トラブルとトラベルは親戚みたいなもので、旅にアクシデントはつきもの。予測不可能だからおもしろい。

移動時間が長いのをいいことに交通機関(エア、新幹線、タクシーetc.)はときには書斎に、ときには仕事場に、またあるときは寝室やバーの止まり木に、あるいはコミュニケーションの場になり、ワープするかのように時間の隙間を埋めてくれます。
 

Posted at 00:33 | No Music No Life | この記事のURL | Clip!! | コメント(3)

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